インド一人旅(デリー編)

インド旅行のブログ、デリー編。
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デリーへ


5日目の夜〜6日目の午前中は、夜行列車でバラナシからデリーへ移動。
20時頃出発の列車が、珍しく10分遅れくらいで出発。こういうこともあるのか、と感心した。


一路、デリーへ。
翌朝は3時間遅れでデリーに到着。やはり遅れるなぁ。


デリー(Delhi)は、歴史的な建造物も残る一方、インドの首都として整備されてもいて、まったく異なる都市が混在しているような都市だった。
世界遺産も多く、3つもある。

クトゥブ・ミナール建造物郡


クトゥブ・ミナール(Qutab Minar)は、デリー開拓の最も初期の遺跡であり、世界遺産でもある。
塔の高さは73mあり、1192年〜1198年に建てられた。


当初は、7階あったこの塔だが、地震により上2階が崩れ、今は5階分しかない。
また、地震によりわずかに塔が傾いているらしい。笑


遺跡以外にも、ちゃんと芝生が整備されていて、さすが首都デリーってかんじ。

他にもいろんな遺跡がある。

フマユーン廟


フマユーン廟(Humayun's Tomb)は、皇帝フマユーンの死後、彼の夫人によって1565年に建築された。
赤岩と大理石によって建てられ、中には貴石が散りばめられている。
のちのタージ・マハルは、これを参考にしてつくったと言われている。
今は世界遺産に指定されている。

タージ・マハルと比べると、少し小さく見える。


やはり庭園は綺麗に整備されている。

中には、フマユーンと側近・家族の棺が置かれている。

首都中心部ニューデリー


ニューデリーは、20世紀に新たに都市設計され造られたため、とても綺麗な街である。
欧米の街と見違えるよう。


まずは、インド門(India Gate)。
ニューデリー一番の大通りは、大統領官邸と、このインド門をつなぐ通りになっており、脇には整った芝生空間が広がっている。
このインド門は、第一次大戦後、戦死者を悼んでイギリスにより建造された。


国会議事堂。円形のスタジアムのような建物。


ラージ・ガート(Raj Ghat)。
ラージ・ガートは、インド独立の父マハトマ・ガンジーの火葬された場所を祀ったものである。
この日は、翌日が新首相の就任記念式典ということで、特別警備体制が敷かれており中には入れなかった。。。

オールドデリー


旧市街地がひろがるオールドデリー。町並みも、ニューデリーとは全く異なり、バラナシに似たごちゃごちゃした感じ。


まずは、レッド・フォート(Red Fort)。
ムガール帝国5代目皇帝シャー・ジャハーン(タージ・マハルをつくった人)によって建造された、巨大な城塞。
現在は世界遺産に指定されている。


その後、オールド・デリーの街を人力車で散策。
この街は人力車がほんとに多い。しかも道が十分に整備されていないため、道中常にガタンゴトンしており散策するのも一苦労である。


トゥクトゥク三輪自動車タクシー)もたくさん走ってる。

帰途


いよいよこの日に日本に帰るということで、デリーで最後のカレーを食す。


最後、インディラ・ガンジー空港の中でオブジェとともにパシャリ。さよなら、インド!




総括


インド旅行7日間が終了。
都市間の移動にかかった時間が多かったし、あっという間に終わってしまったなぁ。
北インドを回るならベストは、2~3週間くらいかな。各都市3日間ほど滞在できたら、もっと違うインドを見れたと思う。


今回のインド旅行で一番楽しかったのは、やはりバラナシ。
今の日本では考えられないような街の様子が見れた。カオスな街だったけど、その中にこそ人間っぽいところがある。
日本では、清潔さ・礼儀作法などによって隠されている、人間の根源的な何か - 汚さ、厚かましさなど - がインドには残っている気がする。
虫嫌いな僕も、ある程度ならハエがたかってても気にしなくなった。笑


インドに行ったら人生観が変わる、かどうかと言われると難しい。
でも、インドに対して持っていた「貧しい、汚い」という表面的な理解と、インドに行ったことで実際に人が生活をしているところを見て感じる「貧しい、汚い」という理解は違うと思う。
単純に避けたいと思うだけの「貧しい、汚い」というイメージと、日本人と同じようにインドの人たちもそこで楽しく生きていて、その環境・時代がたまたま「貧しい、汚い」だけであるという印象は違う。
インドで生活している人を見ると、自分はむしろ、インド人も日本人も本質的にはそんなに変わらないんじゃないかなと思った。
まぁ、宗教観とかどうしても理解できないところはあるんだが。



でもインドを満喫できて楽しかった。
また行きたい!


 インド旅行記(完)