インド一人旅(デリー編)

インド旅行のブログ、デリー編。
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デリーへ


5日目の夜〜6日目の午前中は、夜行列車でバラナシからデリーへ移動。
20時頃出発の列車が、珍しく10分遅れくらいで出発。こういうこともあるのか、と感心した。


一路、デリーへ。
翌朝は3時間遅れでデリーに到着。やはり遅れるなぁ。


デリー(Delhi)は、歴史的な建造物も残る一方、インドの首都として整備されてもいて、まったく異なる都市が混在しているような都市だった。
世界遺産も多く、3つもある。

クトゥブ・ミナール建造物郡


クトゥブ・ミナール(Qutab Minar)は、デリー開拓の最も初期の遺跡であり、世界遺産でもある。
塔の高さは73mあり、1192年〜1198年に建てられた。


当初は、7階あったこの塔だが、地震により上2階が崩れ、今は5階分しかない。
また、地震によりわずかに塔が傾いているらしい。笑


遺跡以外にも、ちゃんと芝生が整備されていて、さすが首都デリーってかんじ。

他にもいろんな遺跡がある。

フマユーン廟


フマユーン廟(Humayun's Tomb)は、皇帝フマユーンの死後、彼の夫人によって1565年に建築された。
赤岩と大理石によって建てられ、中には貴石が散りばめられている。
のちのタージ・マハルは、これを参考にしてつくったと言われている。
今は世界遺産に指定されている。

タージ・マハルと比べると、少し小さく見える。


やはり庭園は綺麗に整備されている。

中には、フマユーンと側近・家族の棺が置かれている。

首都中心部ニューデリー


ニューデリーは、20世紀に新たに都市設計され造られたため、とても綺麗な街である。
欧米の街と見違えるよう。


まずは、インド門(India Gate)。
ニューデリー一番の大通りは、大統領官邸と、このインド門をつなぐ通りになっており、脇には整った芝生空間が広がっている。
このインド門は、第一次大戦後、戦死者を悼んでイギリスにより建造された。


国会議事堂。円形のスタジアムのような建物。


ラージ・ガート(Raj Ghat)。
ラージ・ガートは、インド独立の父マハトマ・ガンジーの火葬された場所を祀ったものである。
この日は、翌日が新首相の就任記念式典ということで、特別警備体制が敷かれており中には入れなかった。。。

オールドデリー


旧市街地がひろがるオールドデリー。町並みも、ニューデリーとは全く異なり、バラナシに似たごちゃごちゃした感じ。


まずは、レッド・フォート(Red Fort)。
ムガール帝国5代目皇帝シャー・ジャハーン(タージ・マハルをつくった人)によって建造された、巨大な城塞。
現在は世界遺産に指定されている。


その後、オールド・デリーの街を人力車で散策。
この街は人力車がほんとに多い。しかも道が十分に整備されていないため、道中常にガタンゴトンしており散策するのも一苦労である。


トゥクトゥク三輪自動車タクシー)もたくさん走ってる。

帰途


いよいよこの日に日本に帰るということで、デリーで最後のカレーを食す。


最後、インディラ・ガンジー空港の中でオブジェとともにパシャリ。さよなら、インド!




総括


インド旅行7日間が終了。
都市間の移動にかかった時間が多かったし、あっという間に終わってしまったなぁ。
北インドを回るならベストは、2~3週間くらいかな。各都市3日間ほど滞在できたら、もっと違うインドを見れたと思う。


今回のインド旅行で一番楽しかったのは、やはりバラナシ。
今の日本では考えられないような街の様子が見れた。カオスな街だったけど、その中にこそ人間っぽいところがある。
日本では、清潔さ・礼儀作法などによって隠されている、人間の根源的な何か - 汚さ、厚かましさなど - がインドには残っている気がする。
虫嫌いな僕も、ある程度ならハエがたかってても気にしなくなった。笑


インドに行ったら人生観が変わる、かどうかと言われると難しい。
でも、インドに対して持っていた「貧しい、汚い」という表面的な理解と、インドに行ったことで実際に人が生活をしているところを見て感じる「貧しい、汚い」という理解は違うと思う。
単純に避けたいと思うだけの「貧しい、汚い」というイメージと、日本人と同じようにインドの人たちもそこで楽しく生きていて、その環境・時代がたまたま「貧しい、汚い」だけであるという印象は違う。
インドで生活している人を見ると、自分はむしろ、インド人も日本人も本質的にはそんなに変わらないんじゃないかなと思った。
まぁ、宗教観とかどうしても理解できないところはあるんだが。



でもインドを満喫できて楽しかった。
また行きたい!


 インド旅行記(完)

インド一人旅(バラナシ編)

インド旅行のブログ、バラナシ編。
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バラナシへ


4日目は、一日かけてバラナシへ寝台列車で移動。
朝10時半出発の予定が、遅れに遅れて17時頃出発になるとのこと。


はぁ〜〜!?


冗談じゃない。遅れるにもほどがあるだろう。
ガイドさんに別の列車を取ってもらって、11時半出発の列車に乗った。


寝台列車にガタゴト揺られて、無事にバラナシ到着。この時点で23時。予定より4時間遅れ!まったく。。


ちなみに寝台列車はこんなかんじ。

隣の席が、RBS銀行のデリー支社に勤める若者だった。年も近くて仲良くなったので、いろいろ話した。こういう出会い、いいよね。

到着したのが深夜なので、すぐにホテルへ。

翌日はやいので、この日はすぐに就寝。

聖なる河ガンガー


5日目、いよいよバラナシ(Varanasi)!!
待ちに待ったガンジス河との対面!


バラナシは、ヒンドゥー教の聖地であり、毎年多くのヒンドゥー教徒が参拝に来る。
なかでも、ガンジス河は、ここで沐浴すると罪が洗い流されると信じられている。なので、ガンジス河には毎朝多くの人が沐浴しにくる。
また、もうすぐ死にそうな老人が、死後ガンジス河に流されたいと願って、付近の空き家に住んでいる。


朝4時半に起きて、ガンジス河に向かう。やっぱり日の出を見なければ、ということで早起きした。
まず訪れたのが、ダシャーシュヴァメーダ・ガート(Dashashwamedh Ghat)。


ガート(Ghat)とは、沐浴場のこと。階段状の岸辺みたいな。ガンジス河には、ガートがたくさんある。
ダシャーシュヴァメーダ・ガートは、最も人があつまる人気ガート。


早速ボートを選んで乗ることに。普通に乗ったら、だいたい相場は100ルピー(=173円)くらい。
今回は、500ルピー(=865円)でボートを貸し切りにさせてもらった。

いざ、出発!!朝日がきれいである。

それぞれのガートの傍には、たくさんの建物がある。
いくつかはゲストハウスになっていて、旅行してきた人が格安で泊まれるようになっている。他にも地元の人が住んでいたり、死を待つ老人が住んでいたり。


ガンジス河は、いろんな人が来ていて朝から盛況である。
沐浴する人。泳いで遊んでいる子供。飛び込みする人。洗濯している人。身体を洗っている人。歯磨きする人。カレーの器を洗う人....など。
ガンジス河は、聖なる河であると同時に、生活をする場所でもある。みなさん、思い思いに自分の用事に勤しんでいる。


そして、、、火葬場のガートもあった。最大の火葬場ガートが、マニカルニカー・ガート(Manikarnika Ghat)。

間近で写真を取ることは許されず、これが撮影できるぎりぎりの距離だった。


この街の人が死ぬと、カラフル包帯で身体をぐるぐる巻きにされて、このガートに運ばれる。その後、ガンジス河に身体を浸して、陸揚げしてから1時間乾燥させる。
その後、このガートで特別な薪を使って、遺体を焼くのだそうだ。遺体を焼き終わると、残った灰をこの河に流すという流れである。
このガートでは24時間ずっと炎が絶えないのだとか。


おどろくことに、この火葬場ガートは、多くのガートの”上流”にある。
それを考えると、下流で生活している人はいったい・・・・・・・。ちーん。

クミコハウス


せっかくガンジス河まで来たので、クミコハウスに挨拶しにいった。
今回は事前に宿を予約していたので、クミコハウスに泊まることはなかったが、いろいろなメディアで紹介されていて有名なので、挨拶だけでもと。

ちなみに、クミコハウスはダシャーシュヴァメーダ・ガートを10分ほど南下したところにある。ちょっとわかりにくい場所だが、地元の人に聞くと一発でわかる。
で、こちらが久美子さん。

30分くらい話して、おいとましました。
インド人と結婚したから、仕方なくインドに住んでるけど、ホントはインドは好きではないと言っていた。なので街にも出ないという。
しばらく仕事もしないで家事をしていたが、日本人と話がしたくて30年以上前にクミコハウスをオープンしたのだとか。


今なにほしい?って聞いたら、せんべいって言ったので、たまたま1枚持ってたせんべいをプレゼントした。
クミコハウス行く人は、せんべい持って行くと喜ばれると思う。
今度は泊まりに行きたいなぁ。

バラナシの路地


バラナシは、今までの街以上に牛が闊歩している。牛さん、堂々としすぎ。


ここからは、バラナシの裏路地を散策。

路地角でカレーを作るおじさん。

石の加工をする職人。

自転車をこいで、はしゃぐ子どもたち。

暑すぎて食堂に入って涼んでみる。ちなみにこの日の最高気温45℃!
そこで、オーストラリアから観光にきた人たちとあったので記念撮影。
オーストラリア人たちは1ヶ月間バラナシでゆっくりして、ブラジルに渡ってワールドカップ見ると言っていた。休みの取り方が日本とは違う。笑

街角の様子。布とか野菜とか売ってる。

バラナシにも緑のある公園はある。暑いので再び涼む。

別の路地に入る。やはり牛が堂々と座っている。ちなみに牛糞もそこらじゅうにあって、ハエがたかっている。潔癖症の人には厳しい環境。

子どもたち。

暑いので再三カフェっぽいところで涼んで、散策は終わり。

ヴィシュワァナート寺院


市内の観光スポットは、まず、ヴィシュワァナート寺院(Vishwanath Temple)。
バラナシで最も神聖な寺院らしい。ベナレス・ヒンドゥー大学(Banaras Hindu University)の中にある。
このお寺がこういう形なのには、理由がある。知りたい方はググってみてください。

ドゥルガー寺院


赤色の寺院、ドゥルガー寺院(Durga Temple)。
猿がたくさんいるので、別名モンキーテンプルとも言われていたが、今は猿はあまりいなかった。

番外編


バラナシで歩いてると、日本人は歩いてるだけですごい声かけられる。
「ヘイ、フレンド!」
「ジャポネ??」
「マネー!!」
このフレーズを何回きいたことか・・・。


なかには、日本語が堪能な現地の人もいて、こちらが安心したところで「近くに僕のお店があるんだけど、見るだけでもどう?」と来る。
もはや誰がいい人で、誰が悪い人なのか判断がつかない。
まぁ、騙されないギリギリのところで、現地の人とコミュニケーション取るのが、旅する中で楽しいことだったりするんだけれども。

バラナシ総括


バラナシは、唯一ゆっくり路地裏を歩いて回った街だからか、今回のインド旅行では一番好きになった街だった。
たしかに、日本人の価値観とは正反対のところが多いと思う。
街も汚い。あらゆるところに、牛やら野良犬やらたくさんいるし、牛糞やゴミが散乱してる。
音も、かなり騒々しい。街のそこらじゅうでクラクション、怒号、売り子の声が飛び交っている。(できるなら録音してきたかったくらい。)


でもだからこそ人間っぽいところがあって、散策していて飽きない。
もちろんバラナシに住むのは嫌だけど。笑


観光にくるなら、バラナシ、おすすめです!




→次は最後の都市デリー!!!

インド一人旅(アグラ編)

インド旅行のブログ、アグラ編。
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アグラへ


3日目の午前は、アグラへ移動。これまた5時間ほど。
アグラ(Agra)は、1475年につくられ、16世紀〜17世紀の間は首都として栄えた。
あのタージ・マハルがあるのも、アグラである。


相変わらず、道中は日本ではみかけない風景が広がる。

あれ、ここ高速道路だよね。

高速道路だよね!?


道中、たくさんのバザールがあった。


タージ・マハル


アグラ到着後、まずタージ・マハルへ!


タージ・マハル(Taj Mahal)は、大理石を使ってつくられたインドで最も人気がある世界遺産である。
大理石、宝石、貴石が大量に使用されており、その美しい外観から宮殿だと思われる方も多いが、実は霊廟(お墓)である。
ムガール帝国5代目皇帝シャー・ジャハーンが、莫大な財力をつぎこんで、亡くなった最愛の妃ムムターズ・マハルのために建築した。
1632年に建築をスタートさせ、22年かけて完成した。
奥さんのこと、大好きだったんだな・・・。子供14人産んだんだって。


まずは、タージ・マハル手前にある赤色の門。

噴水が、この門からタージ・マハルまで続いており、灼熱の中のオアシスってかんじ。


そして、これが、タージ・マハル!!

近くで見ると、こんな感じ!

いやーーーすごい!!
建物の白さ、大きさ、美しさ、そのすべてが息を飲むすごさだった!


ちなみに、墓廟の大きさは、57m四方で、高さは58mもあるとのこと。
大理石の重さは、なんと1万2000トン。(数字が大きすぎて、あまり実感がわかないが。。。)


壁には、貴石の埋め込みや細かな装飾がたくさんある。かなり豪華。


中には、妃ムムターズの大理石の棺が置かれ、隣に寄り添うように皇帝シャー・ジャハーンの棺が置かれている。
残念ながら、内部の写真は撮れなかった。


敷地内は、芝生が綺麗に整備されている。


ちなみに、入場料は高く750ルピー(1300円)。でもインド人は20ルピー。全然違う。笑
タージ・マハル本堂に入るときは、土足厳禁で白い靴下みたいなものを、靴の上にかぶせて入らされる。
持ち物検査もかなり厳しい。電気製品(カメラ、携帯除く)、ペン、タバコなどは持ち込み禁止。必要最低限の身なりで行きましょう。


言うまでもないかもしれないが、インド行ったらタージ・マハルは見たほうがいい。

アグラ城


アグラ城(Agra Fort)は、1565年にムガール帝国3代目皇帝「大帝」アクバルによって建設がスタートし、5代目皇帝シャー・ジャハーンの代まで建設が続けられ、18世紀頭に全体が完成した。
このアグラ城も世界遺産である。


城壁の全長は25km、高さは20mと、規模の大きな赤色のお城である。
内側に、宮殿、モスク、バザール、居住区などを備えている。
現在は70%ほどが軍隊の敷地となっており、観光できるのは残りの30%ほど。



噴水とか庭園とか。

シャワー室。カラフルな壁が斜めに傾いていて、上から水がつたって流れ落ちるので身体を洗うことが出来る。
大理石のシャワー室って豪華だけど、こんな開放的な空間だと困るよなぁ。


アグラ城から見えるタージ・マハル。
5代目皇帝シャー・ジャハーンが、息子に皇帝の座を終われアグラ城に幽閉されたときに、ここから亡き妻の霊廟を7年間眺め続け、この世を去ったという話は有名。

夜ご飯


1日の観光を終えて、ホテルに帰宅。

夕食は相変わらずカレー。なんのカレーかは忘れた。

ちなみに


この日の昼間に食べたマトンカレーが、案外美味しかった。
エッグカレー(約150ルピー)よりは高くて、350〜450ルピー(600円〜780円)ほどかかる。


食事は案外高いと思うかもしれないが、衛生面が確かな店で食事をするとこれくらいかかってしまう。日本とあまり変わらない。
屋台の食事でもいいなら50ルピー(86円)くらいで済む。




→次はいよいよバラナシ!!!

インド一人旅(ジャイプール編)


インド旅行のブログ、ジャイプール編。
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デリー到着時


1日目は飛行機での移動だけ。インド遠いなぁ。飛行機で10時間ほど。
デリーについたら深夜だったので、すぐにホテルへ向かう。
ホテルはこんな感じ。


1日目はこのままおやすみ。


2日目は、ホテルで朝食。オムレツとトースト。

インドの玉子は、卵黄が白めなためオムレツ自体も全体的に白めである。

一路、ジャイプールへ


2日目の朝から、ジャイプールへ車で移動。5時間ほど。遠いなぁ。
ジャイプール(Jaipur)は、ラジャスターン州の州都で、1727年に街がつくられた。
その後、1876年にイギリスのアルバート王子が訪れたときに歓迎するためにピンク色に街全体が塗られた。
そのため、ジャイプールはピンクシティとも呼ばれる。

アンベール城


まずは、アンベール城(Amer Fort)。
アンベール城は、ジャイプールの街が出来る前、10世紀頃に市内から11km離れた丘の上に建てられた。
その後、1592年から150年ほどかけて増築が行われ、現在の姿になった。

鏡をたくさん使った部屋が多くあることで有名。
 


ガネーシャ門。ガネーシャは、インドでは商売・知恵・戦いの神様とされ、ありがたがられている。

昔のお風呂。


庭園とか噴水とか。
水不足の対策として、雨水を貯めこむ地下空間があるらしい。


広場。昔は、大宴会場だったらしい。


裁判をする場所。

赤色の象の彫刻がイスラム教のシンボルで、白色の蓮の彫刻がヒンドゥー教のシンボルである。
ヒンドゥー教イスラム教の両方の建築様式が混在しているのは、世界的にも珍しいらしい。



11時前であれば、アンベール城ふもとで象乗りの体験ができるのだが、この日は13時過ぎに到着したので象乗り体験はできず・・・
と思いきや、宿舎に帰った象が見れるということで、見に行くことに!
いました!お化粧をした象が・・・!

せっかくなので象に乗ることに。初めて象に乗ったな。あまり乗り心地はよくなかった。

最後に、象さんとパシャリ。

ジャル・マハル


アンベール城のすぐ隣に、ジャル・マハル(JAL MAHAL)が建てられている。
湖の上に宮殿が浮いているように見える。とても美しい。

風の宮殿


ジャイプールで一番有名な、風の宮殿。現地名ハワ・マハル(HAWA MAHAL)。
この辺りから、街がピンク色一色になる。


王族の婦人が、この建物から街の様子を伺うために建てられたのだとか。だから窓は小さめに設計されており、窓の数は多い。
風の宮殿は大通りに面しており、露店が立ち並んでいる。露店ももちろんピンク色。(もはやオレンジ色っぽいけど)

天体観測所


インドで初めてつくられた天体観測所。現地名ジャンタル・マンタル(JANTAL MANTAL)。
18世紀に、日時計や星の動きの観測のために、ジャイプールに建てられた。



シティ・パレス


ジャイプール市内にある宮殿。シティ・パレス(City Palace)。
今も王族がこの宮殿に住んでいる。

夜ご飯


1日の観光を終え、ホテルに到着。
部屋はこんな感じ。ジャイプールのホテルが、今回の旅行で一番マシなホテルだった。


夜ご飯は、エッグカレー。カレーにゆで卵が2つ入っている。
このエッグカレー、他のカレーと比べても安い(約150ルピー=約260円)ので、今回の旅行ではよく頼んだ。

部屋に戻って一人でビール。KING FISHERがインドで一番売れてるビールみたい。1本100〜150ルピー(173円〜260円)くらいだった。


2日目終了。




→続き:アグラ編はこちら

インド一人旅(概要)


2014/05/20〜26の1週間、インドに旅行にいってきた。
インド楽しかったなぁ。また行きたい。
せっかくなので、インド旅行のことを各都市ごとにブログにまとめます。
今回の旅行は、1週間前に急遽決まって、ホテルと移動手段だけ事前に予約していった。

インド旅行のスケジュール

  • 1日目
    • 夕方:成田空港→デリー空港へ出発(10時間)。
    • 深夜:デリー空港着。デリー市内のホテルに宿泊。
  • 2日目
    • AM:デリー→ジャイプールへ車で移動(5時間)。
    • PM:ジャイプールで観光。
    • 夜:ジャイプール市内のホテルに宿泊。
  • 3日目
    • AM:ジャイプール→アグラへ車で移動(5時間)。
    • PM:アグラで観光。
    • 夜:アグラ市内のホテルに宿泊。
  • 4日目
    • AM~PM:アグラ→バラナシへ寝台列車で移動(12時間)。
    • 夜:バラナシのホテルに宿泊。
  • 5日目
    • AM~PM:バラナシで観光。
    • 夕方:バラナシ→デリーへ寝台列車で出発(15時間)。
  • 6日目
    • AM:デリーに到着。
    • PM:デリーで観光。
    • 深夜:デリー空港→成田空港へ帰る(10時間)。
  • 7日目
    • 昼:成田空港着。

インド旅行記


(日記内でのルピー・円の換算は、1ルピー=1.73円として計算している)

今回訪れた都市の地図


Google地図より)

What I learned at GT

Had Global Training in Malaysia, Kuala Lumpur(6/27-7/5).


Valuable time spent with my collegues.
We had a tough experience of discussion & presentation in English everyday.
(Of course not only training, but also went sightseeing on weekend.)


Here, I write a note of how to discuss & presentation to utilize this experience.

how to discuss

  • DO NOT avoid conflict.
  • First, brainstorming. Second, evaluating.
  • PREPARE before discussion.
  • ALL MEMBERS should be responsible for time keeping.
  • Be LOGICAL.
  • Dig down more and more.
  • Be positive to understand other opinions.
  • Respect other opinion.
  • What is the PURPOSE? Who is the LISTNER?
  • Connect the ideas.

Different ideas lead to great idea.
Remember we need 'conflict' & 'disagreement'.

how to present

  • Composition of presentation
    • 10% introduction
    • 80% body
    • 10% closing
  • Composition of introduction
    • Greeting
    • Getting Attention
    • Why we are here
    • Agenda
  • Be confident. ACT confident.
  • Keep title SIMPLE.(2-4words/start from verb)
  • EVERYTIME needs gestrue(body language).
  • Explain WHY/HOW.
  • What is the PURPOSE? Who is the LISTNER?
  • Practice. Practice. Practice.


I need more practice to present in English.
I promise to myself that I have more than one presentation practice per month.


About sightseeing, pictures and articles are on Facebook.

清華大学へプチ留学

12月3日〜14日、中国北京にある清華大学にプチ留学してきました。
北京の街の様子、北京の人たちについて、中国の大学について、感じたことを軽くまとめる。

中国の通貨は、”元”が使われている。
この記事では、1元=13円として計算する。

地下鉄

北京市内は、地下鉄が充実している。10本以上あるんではなかろうか。東京メトロみたいに乗り替えは簡単に出来る。
驚いたのは、どこまで行っても2元(=26円)ぽっきりだということ。どうやら国の方針で、市民に地下鉄を使ってほしいから補助を出してるっぽい。おかげで地下鉄は常に混んでる。

タクシー

中国はタクシー王国です。タクシーが安い!20分ほど走らせても30〜40元(=390〜520円)くらいですむ。
北京市内の交差点での出来事がおもしろかった。
いちおう信号はあるんだけど、たまに機能していない。赤信号であっても、歩行者は自分が偉いと思っているから車の走っているなかをすりぬけて渡ってしまう。車は車で、こっちは青信号だからということで無理にでも通ろうとする。いったいどっちが偉いのやら(笑)


あと、面白かったのはタクシーの運ちゃんの対応。
●●に行きたい、と言ってもそこを運ちゃんがあまり知らなかったら、知らんから別のタクシー乗りなって悪びれる様子もなく言ってくる。すげー上から目線だった。

食に対する考え方

中国の人の食に対する考え方は、日本と少し違うっぽい。とくに年配の方。
日本では、コンビニ弁当とか、パン食だけとか、おにぎりだけとかということもあるが、
中国では、食事は丈夫な身体を作る、健康を維持するための行為、という意識が強い。ペヤング焼きそばなどは中国ではきっと売れないであろう。
あと、中国では割り勘という考え方がない。ご馳走するか、ご馳走してもらうか、のどちらか。会計を出すと、基本的には会計の奪い合いとなる。ということで今回、お客さんだった自分はほぼ食事代ださなかった。

IT規制

中国では、Facebookが使えない。twitterも使えない。youtubeも使えない。(裏ルートを使うとアクセスすることはできるが。)
かわりに、Facebookに似たサービスがあって、それがかなり浸透している。仕様はもうまさにFacebookと瓜二つ。よくここまで真似できるなーと感心してしまう。
検索は、ほとんどの人が百度バイドゥ)を使っている。一部のITリテラシーが高い人はgoogleを使っている。百度は、最初のページはほぼ全部広告なので、うーむという感じ。それなら検閲は入っているものの、googleのほうがまだよい。

衛生

公共の場の衛生はだいぶ改善されているよう。ただし、脇道に目をむけると、ゴミが散乱していたりする。
思うに、北京五輪を機に表面的なところは整えられたが、民意はまだその水準に達していないため、細かいところでは雑なところが顕在する。

気温

12月の北京は非常に寒い。最高0度、最低−8度。湖がスケートリンクと化すわけですよ。
緯度としては北海道に近いから、寒いのは当然なのだが、それでも寒かった。クラスメートは「今日は寒いから3枚着た」って言っててビビった。

商売

中国のお店の商売の仕方が面白かった。
100元で売りたいものを、200元と表示して、お客さんが近くを通ると「安くするよー100元でどうだい?」って声をかける。最初から100元と書いてほしいものだ。
大きな百貨店やしっかりしたお店では、そういうことはないのだが、中小のお店ではよくあった。


概して、商品は、その基本的価値でのみ勝負されていることが多い。
他のサービスとの連携や使いやすさへの配慮などは、まだまだ価値を出せそうな余地が残っているなと感じた。日本のサービスはそのあたり強いから、中国では売れるかもしれないな。ただ、中国の人たちがその付加価値にどれほどの重み付けをするのかは未知数。付加価値があっても、値段の高いものは嫌だという人が多い気がするから、そういう意味では少し難しいかも知れない。

物価

基本的には、3〜5倍ほど物価が安い気がする。
たとえば、3元(=39円)でペットボトルの水が売られている。
ただし、衣服は日本と物価の開きはそれほどなかった。逆にいうと、中国の人にとって衣服を買うことのハードルが相対的にあがっている。

清華大学の学生

大勢の人がいるなかでも、自分の意見をしっかり言おうとする意思がみられる。
日本人は、言おうかどうか迷って言わないということがあるが、あまりそういう人はいない気がする。


中国の大学の双璧というと、清華大学北京大学だが、学力のレベルはほぼ同じ。
清華大学は理系に強く、北京大学は文系に強いというカラーの違いが一番おおきいようだ。

その他

自転車には、電灯が標準装備されていない。
リードをつけずに犬を散歩させる人が多い。
トヨタ車が思ったよりも少ない。領土問題の影響かな。かわりにAudiとかの外車が多かった。


日本では、人々は場のルールに従うべきだと考え、場にふさわしい行動をとるよう心がけるが、
中国では、”場”という考え方がないようだ。
参加者が集合しただけであり、参加者ひとりひとりの存在が重要視される。よって場にふさわしい行動をとるために自分を抑えるという考え方が弱い。
もっとも、単純に傾向としてこうであって、全員が全員こうだというわけではない。